前章
穏やかな冬
2020年が明けました。
例年、チャチャ丸が、例えば体重が減ってきたことや歩き方が弱くなってきたことから感じる「老い」や、不調をきたしていたのは、寒い季節とその変わり目でした。
体重こそ2.7kgと過去最低となりましたが、2020年の冬は少し穏やかだったせいか、これまでよりも下り坂は緩やかだったと思いました。
階段を降りられなくなった
15歳の誕生日(7月12日)以降、その冬で大きく変わったことは、下りの階段を降りられなくなったことでした。
きっと目が悪くなったことと、脚の筋力が落ちたことが大きく影響しているのだと思います。いつからか階段途中は、前脚を下ろしてから後脚が続くように、足元を確認して降りてくるようなスタイルに変わりました。ですが、最後の一段では後脚が付いてこず、着地で何度か派手に転ぶようになり、以降は階段を恐れるようになりました
寝る時間が増えたチャチャ丸は、2階で冬眠のごとく長い睡眠をとってから、夕方の起きるタイミングで、階段の前で鳴くようになりました。それを合図として、迎えに行き、だっこで1階へ連れてくる生活に変わっていました。
2階に行くのは就寝時という生活リズムだったのですが、上りのときには、1段ずつでもゆっくりと頑張っていました。上りもだっこで良いかなとも思ったのですが、散歩がなくなって以来、一気に運動量が減ったので、せめて少しくらいは運動させた方が良いかな、という思いで見守っていました。
食事のこと
運動が先なのか、食事が先なのか。にわとりとたまごの問題のような問答が続いてしまいますが、実際に体重が大幅に減ってきていたのは問題でした。
生まれてからこれまで、同じメーカーの同じシリーズのドライフードをメインに、おやつはアレルギーの少ない鶏肉系のものをあげてきました。
それが、2020年に入ってからは、みるみるうちに食事を受け付けなくなってしまったのです。
年齢と共に舌が肥えてきたり、好みが変わってきたり、ということを繰り返すことがあります。
そう、獣医師の先生からアドバイスを頂きました。その通り、色々試し始めた時期でもありました。
新型コロナウィルス禍
今も続く新型コロナウィルス禍、それによって私は2月下旬からリモートワークになりました。出勤はおろか、出張ももちろん中止となり、これまでよりも格段に家で過ごす時間が長くなりました。
今思うと、この半年はチャチャ丸と共に長い時間そばにて過ごすことが出来た、最後の時間だったのかもしれません。
いつものチャチャ丸の特等席に冬の短い陽が差す時間帯には、一緒に移動しました。僕は仕事を、チャチャ丸は日向ぼっこを。
外の風景を見ながらお昼寝するのがずっと好きだった(小さい頃は、誰かが通るたび吠えていた)ので、老後には同じ環境を作ってあげたいと思っていました。
聞こえてくる低周波
陽が出ない日は、仕事用デスクの足元で寝ていました。この場所は、もう一つのチャチャ丸の特等席でもあり、音楽を作っていた頃からの習慣でもありました。
仕事で会議をするため、イヤフォンマイクを装着していたら、なんだか低周波が入ってくるなと感じました。イヤフォンマイクの故障だろうか?と、周囲を見回し、原因を見つけました。
老後も「チャチャ丸」らしい愛おしさをくれる彼と、たくさんの時間を過ごした冬でした。
季節は巡る
春がやってきました。
新型コロナウィルス禍による緊急事態宣言が発令され、残念ながら桜を見せてあげることは叶いませんでした。
その代わりに、昔のようにギターを弾きました。
耳は少し遠くなっていたかもしれません。もしくは、僕の呼びかけには単に慣れてしまって反応が薄めになっていただけかもしれません。それでも、ギターを弾くような素振りを見せれば、特等席で聞いてくれる。僕の一番のファンでいてくれました。
皐月
5月になり、緊急事態宣言が解除されました。つつじも咲く気温となり、すっかり季節は巡りました。
皮膚病対策の抗生物質も含めた日々の投薬はあれど、あと少しで16歳、無事迎えられそうだと思っていました。
定期的な検診をして頂き、獣医師の先生にも大丈夫そうですね、とお墨付きを頂いていました。
16歳の誕生日
しばらくシャンプー出来ていませんでした。誕生日を控え、施術前の検診と僕の立ち会いを条件に、動物病院併設の美容院で、少し整えてもらうことにしました。
抗生物質投与開始後も一進一退の皮膚病で肥大化していた、右目上の乾かないかさぶた痕が気になるものの、イイ男に仕上がりました。
さすがマルチーズ made in Italy。ジローラモさんも真っ青な男っぷりになりました。
素敵だぜ、チャチャ丸。
この日は特別に、人間でも美味しそうと思えるステーキでお祝いしました。
だって、16歳のお祝いだもの。
出したお肉のうち、1切れとちょっとしか食べられませんでした。ですが、肉を見たあの目の輝きは、きっと喜んでもらえたと思っています。
食事の試行錯誤
毛量があるのでそれほどには見えないのですが、誕生日の前に美容院でカットしてもらう前の検診で、チャチャ丸の体重は2.3kgまで落ち込んでいました。人間と犬の体重を比べて見ていただければ、全盛期から減っている2kgというのがどれだけ大きい変化であるかはご理解いただけるかと思います。
特に5歳以降6歳の誕生日に至るまで、体重管理のため、食事に対しては以下の順番で試行錯誤してきました。
- ドライフードを別のメーカーや種類のものにしてみた(10種類くらい試してみたものの、一切ダメ)
- 鶏肉を煮込んでスープにしたものをドライフードにかけてみた(最初は食べたが、徐々にドライフードの部分だけ残すようになった)
- 鶏肉を煮込んでスープにしたものの割合を増やし、ドライフードがふやける程度にしてみた(むしろ食べなくなった)
- 市販の鶏肉スープ系のウェットフードを、これまでのドライフードに混ぜてみた(最初は食べたが、徐々にドライフードの部分だけ残すようになった)
- 市販の鶏肉スープ系のウェットフードを、炊いた白米と混ぜてみた(食べたが、16歳の誕生日以降、しばらくしたら食べなくなった)
- ウェットフードにしてみた(最初は少し食べたが、以降どの種類を試しても食べなくなった)
- いなばのちゅーるは食べるので、ウェットフードにいなばのちゅーるを混ぜてみた(一切食べなくなった)
- いなばのちゅーるだけをあげた(ガツガツ食べた)
食べてくれる日の安堵感、食べてくれない日の喪失感を繰り返す日々でした。
高齢で歯の病気や、食事で噛むことが身体に痛みにつながるような素振りも見せたので、食事の好みだけではなく、身体を蝕んでいるなにかしらの要因があるのだろうと思っていました。
こういうとき、人間は察したところで、それ以上のことが出来ません。無力さを痛感しました。
介護の始まり
誕生日を過ぎてから、ほとんどの時間を寝て過ごす中であっても、水分補給もトイレも自分で出来ていたのは幸いでした。
時々、歩く途中で壁を見つめて立ち止まってしまうことが増えました。痛みに耐えているような、見えないなにかをみているような、そんな後ろ姿を見守るしかありませんでした。そばに寄り、極力優しく撫でて声をかけても、それすらも痛みになっているような、そんな状態でした。
どんなに食べない日でも、自分の脚で歩き、トイレも出来ていました。食事の回数が減っても経口投薬は続くので、便が柔らかくなったり少なくなったりすることはあっても、しっかりと出ていました。
一日の終わり、僕を追いかけ、最後に階段を上ったこの日まで。
トイレ介護
翌日、起きてからも呼吸が荒いのは、35度を超える真夏日だし、クーラーを入れていても暑いのかな?と思っていました。しばらくすると落ち着いていたので、一時的なものだろうと思っていました。
その後、一旦夕方になると落ち着き、夜はそのまま眠れたり、はたまた呼吸の荒さが再発する日々が繰り返し続きました。
呼吸が安定している夜中でも、起きて水を飲むのにも移動が出来ないような素振りをしていたので、ベッド脇ある水の入ったボウルがある場所まで移動させてあげたあと、トイレに行こうとするも間に合わず、途中で出てしまいました。
片付けたあとベッドに戻った翌朝、今度は寝ていたまま、便が出てしまっていました。
これから、本格的なチャチャ丸の介護が始まるのだなと思っていました。覚悟を決めて飼い始めた以上、一切の後ろめたい気持ちはありませんでした。むしろ、それでチャチャ丸が少しでも楽に余生を過ごせるのなら、と思っていました。
最期の日
翌日、チャチャ丸は、朝、水を飲んだきり、僕の仕事用デスクの足元にあるカドラーに移動し、ずっと寝ていました。お昼になるにつれ、呼吸が荒くなってきました。それに加え、呼吸音には、痰がからむような、水の中から泡がブクブクと出てくるような音が混じっていました。
文字通り、肺水腫のように聞こえる音に加え、1分間で40回を超える呼吸、それが心臓弁膜症・僧帽弁閉鎖不全症の最悪の事態を避けるために対処しなければならないレベルである、と事前に獣医師の先生から聞いていたからです。
獣医師の先生に共有した撮影した映像は、こちらです。
快い映像ではありませんので、再生は自己責任でお願いします。
チャチャ丸の呼吸状況を動画に撮影し、動物病院に走りました。
ちょっと先生に聞いてくるからね。
と、チャチャ丸に一言伝えて。
追加投薬
獣医師の先生に映像を見せ、肺水腫になっているだろうとの回答を頂きました。ただ、これまでの獣医師の先生と相談してきた方針の通り、根本治療は出来ないことと、対処療法でチャチャ丸が進む下り坂をなだらかにしてあげることに基づき、出来ることとして以下を行うことにしました。
- 利尿剤での水分排出による肺水腫の改善
- 強心剤による心臓機能増強
いずれにしても、これらの投薬が浸透するまで数時間はかかるということで、急いで帰宅しました。
カドラーにいない
不在にしたのは30分弱、帰宅すると横になっていたはずのチャチャ丸がカドラーにいませんでした。
苦しかったのか、少し歩いたところで倒れ、息が荒いままのチャチャ丸を見つけました。カドラーに戻してあげようと抱き上げようとしたところ、苦しそうな鳴き声を上げました。
それでも床の上よりは良いだろうと、出来るだけ膝の上に優しく起き、今しがた頂いた薬を飲ませ、チャチャ丸をカドラーに戻しました。
変わらず、荒い呼吸が続きました。
カドラーの中で横になっているチャチャ丸と顔が向かいあわせになるように、僕も横になりました。
チャチャ丸と目を合わせて、頭を撫でながら、出来るだけ静かに話し掛けました。
チャチャ丸、待たせてごめんね。
もう少しで薬が効くと思うから頑張ろうね。
苦しいね。
疲れたね。
お互い、年取ったね。
16歳、ここまで長かったね。
僕ももうすぐ40歳だよ。
君と出逢えて、僕は幸せだよ。
もう少しだけ、そばにいてよ。
できることはなんでもするよ。
黄昏時は大禍時
午後5時を知らせる、街のチャイムが鳴りました。チャチャ丸の荒い呼吸音をかき消していきます。
黄昏時は大禍時
いつか読んだ本に書いてあった言葉。
その意味を消し去るように、撫で続けました。その甲斐あってか、チャチャの呼吸は落ち着いてきているように見えました。
返事の代わりに、応えてくれるような目をチャチャ丸に見たような気がしました。辛かったのか、チャチャ丸の目からは少し涙がこぼれそうでした。それを見て、チャチャ丸に僕も伝えました。
あと少しで薬が効いてきて、苦しかった分、少し楽になってゆっくり眠れたらいいね。
その矢先でした。
カドラーの縁から、首がダラリと落ちてしまいそうになりました。呼吸が辛くなってしまうだろうと思い、カドラーに収めてあげようとしました。その瞬間、またあの悲しい鳴き声がチャチャ丸から発せられました。
頭は、どこかへ向いてしまいそうでした。
落ち着いて頭をカドラーの中に収め、チャチャ丸の目を見たとき、もう辛そうな荒い呼吸はしていませんでした。
最期に、大きく吐き出すところでした。
それでもチャチャ丸は、目をこちらに向けていてくれました。光が失われていく中で、言葉はなくても、チャチャ丸が伝えようとしてくれたことはわかっていました。
チャチャ丸、ありがとう。
16年間、そばにいてくれて、ありがとう。
お疲れさま。
何度伝えても足りないほど、ありがとうを。
チャチャ丸の身体から力が抜け、体液がカドラーに溢れました。
2020年8月24日、享年16歳1ヶ月12日でチャチャ丸は天国へ旅立ちました。
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