クチトンネルツアー
前回、ホーチミンに行った際にはスケジュールが合わず、参加することができなかったクチトンネルツアー。今回はどうしても参加しようと、ガイドツアーに参加することにしました。
「クチトンネル」ベトナム語の発音
余談ですが、ベトナムの同僚に「クチトンネルに行くよ」と話したところ、伝わりませんでした。ベトナム語の発音はその声調が豊富で日本人にはとても難しいです。色々発音を変えて試したところ、どうも日本人の「クーチートンネル」という発音の方が近いようで伝えることができました。ですがこの記事では、クチトンネルに統一して書きます。
ツアー予約
前回ホーチミンを訪問した際、前日付近にツアーを探した場合には予約で一杯になってしまっていたのと、空きのある予約はツアーではなく、個別ガイド・日本語対応可能なもののみになっていて約5,000円くらいしてしまう高いものでした。そのため、今回は「Viator」で、午後出発、6時間1,600円ほどのバスツアーに参加することにしました。
英語必須
基本的にViatorでのツアー参加は、英語での案内が必須になります。日本語でツアー案内を受けたいという場合には、割高にはなりますが別の現地サービスで申し込むほうが良いと思います。また、ツアー開始時間にツアー主催会社に集合する必要がありますが、追加料金(500円程度)で宿泊先ホテルでピックアップしてくれる送迎サービスを付けることもできました。
タクシー移動必須
せっかくベトナムに来たのだから、と集合時間に余裕をもって歩いていく、Grabのバイクタクシーで行くということも良いかもしれません。バイクタクシーであれば、同じホーチミン市の区域内であれば、片道100円もかかりません。バイクタクシーは少し怖い、という場合には通常の車のタクシーで行くより、送迎サービスの方が料金的にはお得になります。宿泊先ホテルでピックアップしてくれる送迎サービスを利用する場合には、ツアー会社宿泊先でのピックアップを調整するため英語のやり取りが必須になります。
ツアー開始
上記で申し込んだツアーは、午後12:50に「TNK Travel」というツアー会社に集合というツアーでした。
しばらくすると人が集まり始め、1時15分過ぎにツアーのバスへ乗り込むことができました。渋滞が常のベトナムで、これくらいの時間の遅れは、定時運行できている会社だと安心しました。
バス移動
他のツアー客も含めた大型バスで、ホーチミン市の中心からクチ方面へ向かい動き始めます。
出席者の確認をしていく中で、単独で参加しているのは私だけということがわかりました。その後、バスがツアーガイドのRyanからツアーの概要説明、そしてツアーが始まりました。
ホーチミン中心からクチ地域への移動
まず、ホーチミン中心から見て、クチは北北西への方向への移動になります。早速出てくる重要なキーワード「Agent Orange」がRyanの口から発せられました。
Agent Orange
「Agent Orange」とは、かの有名なベトナム戦争(ベトナムではアメリカ戦争と呼びます)で使用された枯葉剤のことを指します。ホーチミンにある戦争証跡博物館でその歴史を学ぶと、「Agent Orange」がベトナム戦争、その後のベトナムという国にどれだけ大きな楔を打つことになったのか、それを学ぶことができます。
このクチという場所は「Agent Orange」の影響を中心で最も受けた地域になる、とのことです。バスで向かう中、50年経過した今も農作物を育てることが禁止されてる地域が、鉄柵で囲われているのを見ました。そして、最初の停車となる場所は、その「Agent Orange」の影響を受けた方々のための社会福祉施設でした。「Agent Orange」の影響を受け、ベトナム戦争中やその後に生まれた方々は、生まれたとしても障害を持っている方々が多くいらっしゃいました。我々の世代で言えば、双子の結合児、ベトちゃんドクちゃんが記憶に新しいと思います。
その、「Agent Orange」による障害を持った方々が漆塗りを作成し、販売している施設でした。「Agent Orange」の影響は、ベトナム戦争終了直後から国が作った施設を通して、今日までその痕跡を残しているのです。
Agent Orangeの被害者により運営されている福祉施設訪問
バスを降り、この施設で行われている説明を受け、作業場を通ります。
どうやら、漆塗り(ラッカー)を主に作っているようです。
その後、この施設で作られた製品の直売所を通り、興味がなければバスに戻ります。
アジアの旅行ツアーに参加したことある方々は、こういったツアーの中に組み込まれている「立ち寄り場所」をご存知かと思います。個人的にも興味はありましたが、漆塗りは日本でも知られた技術ですし、何かを購入する予定はありませんでした。手作業で行われている漆塗りの商品は、ベトナムの多くのナイトマーケットでも、(もっと安く)見つけることが出来るだろうと思っていました。
ワインホルダーとの出逢い
しかし、この場所でしか買えないだろうものを見つけてしまいました。マザーオブパールを使ったワインホルダーです。
この場所で購入することは必須ではありませんし、800,000VND(約4,000円)という値段は、ベトナムでは非常に高い部類に入ります。ですが、個人的には漆塗りのハンドメイドであること、マザーオブパールであること、そしてこの国の再生に少しでも役に立てればという思いからすると安いと思い、購入することにしました。
帰国後にワインホルダーを撮影
購入したワインホルダーを、後日帰国してから撮影しました。
そこに、自分の生まれ年のワインをセットしてみました。
やはり買ってよかったなと思えるワインホルダーだったと思いました。
目的の場所:クチトンネル
話は、現地ベトナムのツアーに戻ります。
購入を終えて、最後の乗客としてバスに戻り、一路クチトンネルに向かいます。福祉施設から1時間少し走り、クチトンネルに到着、ツアーでの入場をします。
入場料
通常料金ですと、110,000VND(90,000VND + 20,000VND)のようです。
前述の通り、団体でのバスツアーで申し込んでいますので、日本で支払い済みの1,600円の中に含まれています。となると、ガイド料金が1,000円としても、非常に安いと思えます。
入場後、すぐにクチトンネルが始まります。その前にRyanからの注意事項は、コースから外れないことでした。安全第一、その言葉が冗談ではないということはのちにわかることになります。
ベトナム戦争当時の状況
まず、クチトンネルが出来上がった経緯から、説明してくれました。まず2つの背景を理解する必要があります。
- クチは、 北ベトナム(カンボジア国境からハノイ)と南ベトナム解放民族戦線(サイゴン)の中間地点になるため、クチを有する側がベトナム戦争を有利に進めることができる要所となっていた
- 長期化するゲリラ戦で有利に進めることができなくなっていたアメリカは、クチの広大なジャングルを(ベトナム戦争以降使用禁止になったナパーム弾の利用を含めた)空爆で焼き尽くした
そのため、空爆用防空壕というだけでなく、軍部や生活基盤、侵入された場合の罠、緊急避難経路までを兼ね備えているということでした。
3層構造のトンネル
合計3層に分かれて構成されている標準的な壕は、第1層が地下3mほど、空爆にも耐え得る第2層は地下6mほど、空爆の影響を全く受けない最下層となる第3層は地下10mにも達しているそうです。各層の大まかな役割は以下の通りということでした。
第1層(戦闘要員用)
- 哨戒(見張り)
- 迎撃
- 軍部
第2層(生活用)
- 寝室
- ダイニング
- 出産
第3層(緊急脱出)
- 罠
- 井戸
- (サイゴン川やカンボジアへの)脱出経路
緊急脱出路
緊急脱出として、第三層はベトナムの東に位置するサイゴン川まで繋がっています。それよりも深刻な事態となった場合、最後の脱出経路としてこのクチ地域から、当時アメリカが条約上戦闘行為を行うことができなかったカンボジアまで逃げることが出来るように構成されているということでした。
現在も全容未解明
それぞれの壕、トンネルへ続く秘密の入り口と仕掛けられた罠は、クチトンネルの観光コースの外には未だ当時のまま残っており、戦争によって生み出されたこの複雑な全長250kmにも及ぶ史跡は、未だ全容解明がされていないそうです。
コースの途中では、このようなたくさんのトンネルが見られます。
現在では、歴史を示す貴重な資料としてコース上に登場するその多くがコンクリートで補強されています。
ですが、このクチの元々岩盤が強く、爆撃に耐えるためのトンネルとしては最適な地盤だったそうです。
秘密の入り口
そのうちのいくつかの秘密の入り口や罠が、観光用に公開されています。まず、秘密の入り口です。
観光用のパンフレットや、インターネットで見ることが多いかと思います。
この入り口から入ることを試すことが出来るようになっています。シンガポールから観光で来た、という女性が最初に挑戦しました。
単独の参加であったため、Ryanに写真をお願いして、私も試してみることにしました。
小柄なアジア人でも出入りする際には両腕を垂直に上げ、入り口を隠す蓋を持った上で完全に入ってから腕を下ろす必要があります。
とかく、ベトナム人は小柄なため、簡単に出入りすることが出来たそうです。ツアーに参加していた欧米人の方々は、正しい手順で入ろうとしても、ほとんどの場合、胴回りが入らないということで諦めていました。
南ベトナム解放軍の服装
次のエリアに向かう前に、休憩している人がいるかと思ったら、それはベトナム軍の代表的な服装を着せたマネキンの展示でした。
昼間は緑、夜は黒にすることで、周りとのカモフラージュ効果をもたせる服装をしていたということでした。その帽子には、南ベトナム解放軍の象徴であるバッチが必ず付けられているそうです。
南ベトナム解放軍の象徴である青と、共に戦って死んでいった同胞たちの血を忘れないという赤。共産主義国、社会主義国に共通する「赤」の説明ではありますが、いざ実地での、たくさんの要素の中で受ける説明が、半分ずつの配色から得る想像力を増長し、ベトナム戦争の凄惨さが見えてくる気がしました。
換気システム
クチトンネルという地下10mほどの壕に、一体どのようにして酸素を提供していたのでしょうか。ただでさえ蒸し暑いジャングルに位置するクチ、地下壕ともなれば更に蒸し暑いものとなり、酸素濃度も低下します。
対策として、壕には換気システムが採用されていたそうです。
この換気システムは至って原始的な仕組みですが、中をくり抜いた竹を3本組み合わせ、これを3箇所の穴に設置します。負圧の関係で自然と空気が換気されます。
嗅ぎつけられないように・・・
換気されれば当然、匂いも排出されます。アメリカは、軍用犬にこの匂いを探知させ、壕を急襲しました。
軍用犬に探知されないよう、壕の換気システムにはアメリカ軍の死体から血を採取し、換気システムに塗っていたそうです。戦争とは、人を狂気の世界へ導き、正常ではいられなくさせるものであると、いつか見たベトナム戦争を題材にしたハリウッド映画を思い出しました。
戦車
観光ルートを進むと戦車が突然出現しました。
ベトナム戦争から50年、そのままここに放置されています。Ryanからの質問が出ました。
「この戦車は、ジャングルに囲まれたこの場所に、どうやって来たのか」
誰も答えることが出来ませんでした。
今、この場所に生い茂る木々、ジャングルもベトナム戦争以後に育ったもので、当時はジャングルが焼けつくされていたからこそ、ここまで来ることが出来た、ということです。
戦争の痕を知る戦車は黙して語らず、過去へたどり着くために謎を紐解いていく。蒸し暑いクチで感じたのは、歴史に触れた瞬間の身震いでした。
トラップ
続いては罠です。
いくつもの罠がある中で代表的な落とし穴が設置されていました。
落とし穴には、ジャングルに多く生息している竹を鋭く加工し、落とし穴に落ちたものを待ち構えています。その竹の先端には、サソリや蛇の毒を付けておき、負傷した傷口から死に至るようにされていた、という説があったそうです。
ですが、ベトナムではこの説は否定されているそうです。なぜなら、数万箇所とも言われる罠全てに使用する毒を抽出出来るほどのサソリや蛇は生息していなかったため、ということだそうです。
点在する村々も、ベトナム戦争下ではアメリカ兵の哨戒の対象となりました。その際、数々の落とし穴だけでなく、扉にも多くのトラップが仕掛けられており、その中で最もアメリカ兵を苦しめたと言われるのがこの扉に設置されたものです。固く閉められた扉を蹴り開け、軍隊式で突入してくるアメリカ兵に襲いかかるのが、このトラップです。
扉が開くことで発動、反動を付けて襲いかかるこのトラップは、ヌンチャクのように上下で分かれています。目の前にやってくるトラップに対する防御反応が契機となって、トラップの下段は振り子の原理で勢いを増し、2段階で確実に襲いかかるようにできています。
ツアーガイドのRyanは、「誰かボランティアでデモンストレーションしてみてくれないか」と冗談を言います。冗談のあと、実際にどのようにこの罠が発動するのか、見せてくれたのが、以下の映像です。
Ryanが発した冗談が笑えなくなるくらい、背筋に感じる寒気のような不快感を感じながら、次へ進みます。
不発弾を利用して
ベトナム人なら誰でも皆その方法を知っている常識、という説明から始まるこの場所では、どのようにベトナム軍が手榴弾や地雷を作っていたか、という説明のジオラマが設置されています。
使う材料は、アメリカ軍が落としていった無数の爆弾の中で爆発しなかった、不発弾です。爆発していない爆弾を見つけて集め、再利用してベトナム軍の武器になるまでの過程を示しています。
ノコギリで中を開ける際にも、その切る際に発生する熱で火薬に引火、爆発しないように水で冷やしながら開封します。
中から取り出した火薬は、流れ作業で送られ、別の武器に詰められた後、ベトナム軍の武器に姿を変えます。
アメリカ軍による大量爆撃、その中で残った不発弾は、軍需を多く持たないベトナム側で再利用されてアメリカへ反撃するための武器になっていたのです。
観光用射撃場
コース終盤に差し掛かる前に、射撃場に到着します。
もし射撃を試したい人がいれば、その人達を待ちつつ、休憩時間になります。
お値段以上・・・
射撃場ではAK47と言われる代表的なアサルトライフルを始めとした射撃を体験できますが、そのお値段なんと1発60,000VND(300円程度)。
アメリカの射撃場では、1発60セント程度です。金額を比べると、そのお値段なんと5倍!観光価格でも、ここまでになるとさすがに試す気はしなくなります。
射撃場併設のお土産屋さん:注意事項
この射撃場にあるお土産屋さんで1つだけ気をつけなければいけないことがあります。
それは、たくさんのお土産に混じって、当時使われていた本物の薬莢を使った商品です。
特に海外から来ている我々は、買っても持ち帰ることはできませんし、飛行機に乗る際の荷物検査で別室に招待されることになりますので、買わないようにしましょう。
最高のお土産
逆に、このクチトンネルのお土産屋さんでのみ手に入るものがあります。それがこのサンダルです。
ホーチミン、クチは、ベトナムの南に位置しています。国内、特に北の地域から多くの物資を運び終えたトラックの廃タイヤを使い、このサンダルは作られています。この廃タイヤを使ったサンダルは最近では履く人こそ減ってきましたが、昔から存在しています。ベトナム戦争中にも活躍した背景があります。それは、ストラップでサイズも調整出来るようになっているため、前後リバーシブルで履くことができるのです。なぜ、前後逆に履くのか、それは、ジャングルを行く中で足跡からつけられないよう、逆に相手を罠に誘導するために利用されたということです。
廃タイヤサンダルのお値段
そんなこの廃タイヤを利用したサンダルは10年間は履き続けられるといいます。たった90,000VND(450円程度)後ほど、このあとの行程はこのサンダルで過ごしました。敢えて欠点を伝えるとしたら、サンダルとしては少し重めであること、廃タイヤを利用しているからには、天然ゴムが原料ですので、履いていると溶けて足に付き、少し黒くなります。この黒さを楽しむのも、ベトナムならではかもしれません。
ライスペーパーの理由
お土産屋さんの傍らで、ライスペーパーを作っている一画があります。
なぜここでライスペーパーを?と不思議に思ったのですが、その理由は合点がいくものでした。主食である米をクチトンネルの中で持っていくと、その湿気からすぐに腐ってしまいます。ですが、一度ライスペーパーにして水分を抜くことで、湿気の多い地域、場所であっても長持ちさせることが出来るという、保存のための知恵でした。それが故、この場所でライスペーパーの作り方を実践しているのでした。
土はいずこに?
クチトンネルのツアーも終盤に差し掛かり、第3層へつながる穴も多く見えるようになってきました。
その深さは、圧倒的。
ここでもRyanがクイズを出してくれます。
「最深部は約10メートルほど、そして総距離250kmとも言われるこのトンネルを掘った土はどこに置かれたのでしょう?」
アメリカ軍との戦闘中に掘削され、その場に積んでおいたのでは、すぐにバレてしまうのではないか?その先入観が、逆にこの問題を難しくさせます。
答えは戦車と同様でした。
この一面全ては爆撃による焼け野原、クレーターだらけでした。そのクレーターの一部はこのようにして残っています。
その中に土が盛られていても、一見してわかることはない、とのことでした。
戦争という状況は、机上の想像ではとても追いつけない現実があるのだと感じました。
タイヤサンダルが生まれるところ
入り口方面に戻るコースの途中で実際にこのサンダルを作っている小屋があります。
素材となっているのは、先述の通り、ベトナムを支える物流で利用され尽くした廃タイヤです。
このあと通りかかった休憩所で、クチトンネルで働く方々が実際に履いているのを多く見ることができました。
メインイベント!クチトンネル潜入体験!
いよいよ、クチトンネル内部の体験です。
ツアーに参加すれば、誰であってもトンネルへ降りる体験をすることができます。
ただし、ベトナム人が入れるサイズを基に設計されたこのトンネルはやはり小型、残念ながら、コースの前半で登場した秘密の入り口同様、欧米からいらっしゃっていた大柄の方々は、入り口を見た段階ですでに入ることすら諦めていました。
トンネルの中に入ると、急な階段を降ります。
第2層へ続く階段は、階段一段一段が更に深くなります。
失敗:充電切れ
1つだけ失敗したのは、いつもの旅の友である3軸ジンバル、DJI Osmo Mobile2の充電が切れていたこと。本当は、このトンネルを行くという体験を撮っておきたかったのですが、移動中に電源ボタンが押しっぱなしになっていたようで、利用できませんでした。
最深部を行く
トンネル体験で最深部の箇所に突入します。いわゆる、第2層に当たる部分ですが、湿気は多く、息苦しい狭さです。
身長169.5cm・体重64.8kgの私であっても、屈んで進むのが精一杯であり、かつ中腰の姿勢で進まなければなりません。
前を進む女性であっても、腰をかがめて進まなければいけないサイズになっています。
高さでいうと、120cmくらいだと思います。
出口直前最後の曲がり角、ここを曲がり・・・
ようやく地上が見えました。
一気に開放された感覚と呼吸を取り戻すと共に、中腰で進み続けた下半身が強張っているのを感じます。トンネル体験のあと、何人かの人は足が言うことを聞かず、転んでいまいた。
調理場
最後に、クチトンネルにあった調理場を再現した櫓を通ります。
実際にこの調理場で調理されていて、料理の匂いもします。
ここにも換気システム
しかし、煙は上がりません。これは、先述の換気システムと同様、煙を含めた換気は地中に配管を這わせ、少しずつ排出した上で、5m先の排気口から排出しています。土から20cmほどは湯気が混じった煙が排出されますが、よく見ないとわかりません。攻撃対象として上空から確認するということはできなかっただろうとわかります。
イモかと思ったら、タピオカ
説明の最中に出されたのは、蒸したイモかな?と思いましたが、タピオカでした。
白タピオカですが、最近巷で大流行中のタピオカティーの原型がこんな形だとは、思いませんでした。
かくして、トンネルツアーコースを一周し、入り口に戻ります。
トイレ休憩をはさみ、出発地点であるホーチミンまでツアーバスはノンストップで戻りました。順調だったせいか、2時間もかからず到着しました。
さいごに
クチトンネルツアーの評判を見ると、英語のレビューと日本語のレビューで温度差が目立ちました。百聞は一見にしかず、参加して本当に良かったと思えるツアーでした。ベトナム戦争という哀しい歴史ではありますが、その過去の先で今を生きているベトナムの方々を文化まで踏まえて知ることが出来る、そして、我々が知っている情報とは違う角度で歴史を知ることが出来る良い機会になると思います。ホーチミンでの観光の1つとして、ご検討してみてはいかがでしょうか。
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