「だから君はここにいるのか」 – 多角的認知による論理的言語化

道端の広告で面白いタイトルの舞台を見つけて、公演を探し、2ヶ月先のチケットを取ったのです。10年ぶりに拝見した生舞台は秀逸で、久々にブログを書くエネルギーをもらえる作品でした。

目次

だから君はここにいるのか

第12回せんがわ劇場演劇コンクール「グランプリ」受賞公演、と聞けば期待は募ります。

チケット購入時に持ち帰るほど、パンフレットからも溢れ出る魅力に惹かれていました。

あらすじ

2部構成の物語、以下は公式ページからの引用です。

『話すのなら、今ここにないもののことを話したかった。今ここにないものの話ばかりしようと思った』改作・改題

【舞台編】

舞台は、劇場の公演準備前の舞台。俳優がひとり舞台の上にいると、台本の台詞を正確に喋る見知らぬ男が現れる。それはすでに削除されたはずの台詞だったー。劇に登場しなかった登場人物とその役を演じるはずだった俳優の物語。

【客席編】

舞台は劇場の客席。劇の結末に納得できない登場人物と、人生でたった一度だけ見た劇の再演を待ち望む観客の物語。

劇作家久野那美さん

劇作家久野那美さんの作品の言葉遣いが、説明からも感じられ、琴線に触れる気がしていました。

感想 – 多角的認知による論理的言語化

劇の物語にはできるだけ触れないように、述べたいと思います。舞台を、お芝居を見に行くことで求めていた感覚を得られた、とても新鮮な気持ちになりました。

主観を、それぞれの立場からの観察し、多角的に折り重なっていきます。描写は論理的にもかかわらず退屈しない、躍動あるリズムで物語が進んでいきます。ときに哲学があり、それぞれの背景にある世界を重ね合わせ、観客に想像させる情景はとても視覚的に再現できるように、めぐりめぐる言葉の連続は、綺麗なプログラムコードが実行されていくのを見ているようにも感じました。

物語が進むにつれ、ひょっとしてこの舞台を見ている自分は逆に見られているのではないか、と、まるで自らの脳を裏側から観察されているような気分にもなりました。その瞬間、観客の感じるだろう感覚すら「演出」に組み込まれている脚本が意図されて書かれてるのか、と信じて疑いませんでした。

見出し的にまとめるのがとても難しく、それが「生」の良さであり、舞台ってすばらしい、と感じさせてくれる作品でした。

俳優の方々も、素晴らしかったです。以下は階(缶々の階)の公式Twitterからですが、この写真だけでご覧頂いた方はあの2時間を、あの世界の重なりの時間を思い出せるのではないでしょうか。

さいごに

私にとっては10年ぶりの生舞台でした。「再演」ではない、また新しい作品を、別の劇場でもこれからきっとたくさん観るでしょう。そのたび、「だから君はここにいるのか」をきっと思い出すと、私は確信しています。そしてきっと、また別の

とても良い作品に出会えた今日は、とても素晴らしい日でした。

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