僕の人生に言葉が必要な理由

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今日、不思議で、とても感動することがあった。

 

それは、勤めている会社での経営会議直前のこと。会議室で面接が行われていたらしく、会議室前で待っていた。そして、面接が終わったようだ。面接にお越しになった方が僕の背面を通るときに発した言葉、それは…。

 

目次

「Kengeniusさんですか?いつもブログ拝見しています!」

ビックリした。社長に付けてもらった誇りあるニックネームではあるけれど、面接にお越しいただいた方の口からその名前が飛び出すなんて、想像もしていなかった。しかも、その方は続けて、「一緒に働きたいと思って、伺いました!」と。

 

たった、2つの文章。大したことは書いていないけれど、ブログに込める想い、そしてこれまでの人生を肯定された気持ちにしてくれた。そして、あるまじきか、僕は若干圧倒されてしまった。

 

常々思うこと

言葉と音楽、その2つだけが唯一、人の心を結ぶことが出来る不可視であるものだ。そして、強烈な力を以って、時に人を勇気づけ、時に人をどん底に突き落とす。だからこそ、その魅力が愛おしく、使い方を正確に、そして細心の注意を払いたいと思う。こんなことを書いていたとしてもあくまでも理想であって、そこまでの人間ではもちろんないのだけれど。

 

そして、人間力というのは、言葉に囲まれた環境で培われた基礎となった人に宿る言霊たちで出来ているのだと信じている。文は人なり、とはそういうことだと。

 

あの人を雇うべきだ

コンプライアンス等色々あるので、連絡先をそこで交換する、などということはなかった。もちろん、名前も存じない。けれど、この名もなき出会いは、僕の記憶に一生残るだろう。僕が経営者だったら、確実に雇う。なぜなら、僕の人生には言葉と寄り添う人との出会いが必要だからだ。

 

最後に

あの時の方が、もしこのブログをご覧頂けているのであれば、ご連絡下さい。飲みに行きませんか?

 

今日も生きていて良かったと思えた。人生って素晴らしい。

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