回顧録

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回顧

最近、何かが足りないと感じるようになってきた。FacebookもTwitterもInstagramも、全ては飛躍的な進歩、あの頃想定していた未来の技術なのに、インターネットから充足感を得ることがない。その理由を、この文章を書きながら、漠然とはわかっているのだけれど、文学的センスが決定的に欠けている僕にとって、それは簡単ではなかった。
だから、今しばらく、回顧録的に自分の過去をここに少しずつ残してみようと思う。インターネットと音楽とITと。もうそれは20年くらいになるんだと、その文字を打ち込むだけで、辟易としてしまうのだけれど。

インターネット回線

もっと思い出してみると、自分がインターネットを始めた時の回線は、従量課金の64kbpsダイヤルアップ。その後、ようやくテレホーダイという今で言うパケホーダイが出現したおかげで従量課金の闇から抜け出せた。でも1時間くらい繋ぎっぱなしだと今度は非力な富士通のノートPCが限界を迎え、再起動をしなければ(ダイヤルアップは確立されているのに)通信がない、なんていう状態だった。

初めてのPC

なぜPCを購入したのか。富士通のFMVというシリーズで、Celeron 400Mhz、RAMは64MB、ハードディスクは5GB程度、そこに30以上の(ほぼ使わない)アプリケーションがプリインストールされていた。値段は、28万9800円(税抜)だった。それをビックカメラで購入して持って帰ってきた。

PC購入目的

閑話休題、なぜ購入したのか。元々は自分の楽曲を作り録音するために、MTR(マスタートラックレコーダー)という複数のトラックを録音して、2ステレオミックス出来るスピーカーなしラジカセみたいなものが欲しかった。けれど、高校生でMDを持っていたデジタル創世記とも言える世代で育った以上、録音を重ねることで(大好きな曲が)劣化していくテープではなくなる時代が来ると思っていた。そしてその先に、一人でも音楽を創り出せる時代が来ると思っていた。

音楽制作環境

PCは買ったけれど、音源も作曲ソフトもない。面倒なのは嫌いだったから、全て含んでるやつ!という思想の下、Rolandから発売されていたミュージ郎なるパッケージを買った。Singer Song WrighterというDTMソフトとRoland SC-8850という音源のパッケージだった。なかなか自分は勉強になったし、環境的にも申し分なかったのだけれど、当時はオーディオインターフェースはUSB1.0なんてなくて、PCIカードが主流だった。予算がないのだから、Maciontoshを買って、Digital Performerとかにしていればよかったのだ。結局、ミュージ郎では完結できなくて、出たばかりのMD式MTRに飛びつき、音源からオケを出力して録音、しばらくはそんな環境で音楽を作っていた。その楽曲たちはLogic Pro7へ移行したタイミングでMIDIデータを再編集することが出来たため、運よくデジタルデータでも譜面データでも残せている。

パソコン先生

パソコン先生的知識をつけるつもりなんてなかった。ただ、当時の低いスペックで何かをしようとすると、余計なものを出来るだけそぎ落として、軽くするというのが常套手段だった。レジストリを変更し、不要なものを削除し、ドツボにハマる。そうして買ったPCを何度もCD-ROMからリカバリーし、バックアップを取ることを覚え始め、やっぱり初期化を繰り返す、いわば一人ヘルプデスク状態だった。調べるためのインターネットもそこまで確立されているわけでもなく、調べるにも時間がかかった。だから、たくさんのことを覚えた。調べるよりもトータルコストが低いからだ。それがこうやって身を助くものになるなんて思いもしなかった。

合間

夜型の人間だった。作曲するはまさにそう。そうすると一人で孤独に直面する。それを助けてくれたのは、当時はまだSNSがなくて、チャットやメッセンジャーだった。出会い系要素も含んでいたけれど、気を紛らわしたり、そこから知らない世界の情報を得られたり、もちろん調べたい情報を教えてくれる人もいたり。全く知らない人と文字だけで話すというのは何か、新しい世界のように、未来の予感を感じた。

文字でのやりとり

携帯電話がようやく安価になってきて、それまではPHS(Personal HandyPhone Systemの略だったかな?)を使っていたのだけれど、メールは20文字。ショートメール、SMSの初期もそうだったように思う。到達するまでに時間もかかり、1通ごとに送受信でそれぞれ料金がかかる。それから思うと、メッセンジャーやメールは、定額のサービスであれば気兼ねなく使える。お金がない時代から、有料サービスを使って繋がることが新鮮で、爆発的に広まっていったのだろうと思う。それは今日、まだメッセンジャーが残っているということでその機能がもはや発明に近かったということが証明されていると思う。

それからそれから

何年もの時代が過ぎて、Macintoshも触るようになり、PCのOSもWindows98からXPになり、PCを自作するまでになった。その頃に事故に遭い、演奏で稼ぐことから離れた。本当に幸運で、当時はITバブルの初期、派遣社員なんていうものが新たな働き方だともてはやされ始めていた。その波に乗じて受けた会社の試験を高得点で通過でき、大学も出ていない僕のような人間が普通のサラリーマンになれたのは、本当に幸運だったからだと本当に思う。あと10年遅れていたら、望んでも門前払いが当然の時代で、今ここにはいられなかったと思う。

これから

たくさんの変遷が、これまで以上の速度でやってくるとは思うけれど、それと同時に、誇張された情報や仮想的に生み出された虚実は、徐々に廃れていくだろうと思う。内部にいれば、憧れより嫌悪が大きくなるような業界に今起きていることとそれは似ている。通過点として、そしてこの先また書き足すかもしれないけれど、脳内揮発性メモリがショートする前にITエンジニアになるまでの数年間をここに。

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