政治・宗教と南北の壁 – ベトナム : Another Sky

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はじめに

この記事の写真に設定しているワンコの写真は、この記事とは全く関係ありません。強いて言えば、散歩中に懐っこくそばを通ってくれたので、残したいなと思っていたので使用したというだけのことです。

南北の壁

女は北、男は南

ベトナムは、慣例的に言われることとして、韓国や北朝鮮と似ているところがあります。

それは、結婚するなら「女は北、男は南」が良いということが言われることです。共通して、北(北朝鮮・ハノイ)の方が女性は美人が多く、南(韓国・ホーチミン)方が男の甲斐性がある、ということらしいのです。酒席で家族の出身を聞いたりする際に、例えばハノイの女性と結婚した男性には「美人見つけたんだね!」なんて言葉が言われたり、ホーチミンの男性と結婚した女性には「甲斐性ある人見つけたんだね!」という話をしていたりします。

政治と経済

上記のように、男性と女性を語る際に付きまとう北(ハノイ)と南(ホーチミン)の観点ですが、政治経済においても中心が「北」と「南」に別れています。政治は共産党本部が構える北(ハノイ)、経済はベトナム戦争以降で西洋の文化が色濃く入ってきた南(ホーチミン)という構造になっているのもベトナムの特徴です。

ちなみに、我々日本人の場合は、アメリカ視点からの歴史を多く学んでいますので、「ベトナム戦争」と呼んでいますが、ベトナムでの呼称は「アメリカ戦争」になっています。これは、現在では観光地として残っている軍司令本部の説明にも残っており、各資料にも「アメリカ戦争」と記載されています。

宗教

元々ベトナムは、仏教の国でした。

しかし、上述の通り、アメリカとの戦争以降、キリスト教が入ってきています。そのため、生粋のベトナムっ子(仏教徒)にとっては、ベトナム人ではあってもキリスト教信者である、ということがわかると、少なくともハノイ生まれではない、ハノイへ上京してきたのだな(もしくは、少なくとも数十年以内の過去に、ハノイへ来た家族から生まれた人だな)と思うそうです。

こうした地元意識にも似た感覚は、少しベトナムにおける生活に入り込む中になると、到るところの背景に色濃く感じることが出来ると思います。

タブー

そんな背景の中で、言ってはいけない言葉:タブーも多くあります。ベトナムの特徴として、人を馬鹿にする言葉は、差別的な人やそれこそマフィアしか使わない、というような傾向があります。ですので、軽い気持ちや冗談の中でも使うことは文化として存在していませんので注意しましょう。

そして、それらのタブーは、日本語の発音に似通った言葉が多かったりします。その中でも、「バッキー」という言葉があります。意味としては、ハノイの人に対し、「北の馬鹿野郎」という意味を込めて侮蔑的に象徴しているものになります。なぜ、「北の馬鹿野郎」なのか。それは上述の通り、「政治は共産党のお膝元というだけで何もしていないじゃないか」という、経済を担うホーチミン側の立場から生まれた言葉のためです。

日本人タレントさんのように、あだ名であっても「○ッキー」みたいに呼んではダメですので気をつけてくださいね!バ行いずれの文字であっても危険です。ベトナム語の発音は非常に難しいので、日本語の単純な音声は勘違いされやすいためです。

コミュニティと多様化

自らの出自を誇り、逆に他の出自に対して差別的になりやすい傾向というのは、こと社会主義においても変わらず存在するのだなと思うと、なんだか面白いなという気分であるのと同時に、人間は基本的に同じなのだなと思います。資本主義であっても、わかりやすく日本で言えば、東京に対する憧れもあれば関西との比較もあります。日本だけでなく、コミュニティが大きくなることは、多様性を享受しなければならないことと種の保存のような自己主張の二律背反が内在するのだなと思います。

社会主義と資本主義

ちょうどこの記事を書こうと思っていたときに、とある英語の論文で面白い記事を読みました。

それは、上述にも近しいことなのですが、なぜコミュニティが小さい時は社会・共産主義となり、コミュニティが大きくなると資本主義化するのか、ということでした。原因は経済発展というよりは、文化の根幹として、同じ文化のみの小さいコミュニティにいれば多様性を求められずに済むが、大きくなる道を進もうとするのであれば、異なる文化圏が共存していく中で共通の価値観を保つのは不可能となり、経済や資本という共通項のみを以ってコミュニティを形成するしかないということなのです。

国によっては、台頭した巨大な一派により政治が大きく傾けられ、結果、偏向した未来がもたらされると思っていました。しかし、実際に色々な国を見てみると、実際はその政治もどんな結果であっても時の国民が生み出したものなのかもしれない、と思うようになりました。

まとめ

私にとって、今まさに急激な発展を遂げているアジア圏を訪問する中で、適切なタイミングで共産主義と民主主義についての論文を読むことが出来ました。そして、このあとのタイでの滞在においてこのことを念頭に置き、過ごすことが出来たのでした。

タイで感じたこと、この出来事を踏まえてこのあとバンコクへ飛んだ後、どういうことがあったのかは、またタイの記事で触れたいと思います。